タイのTikTokでは、最近このような動画が話題を集めているそうです。
とあるタイ人女性Aさんが、自分が赤ちゃんの時の写真を動画にしました。そこには父親が一緒に写っているのですが、この父親は日本人だそうです。
どういう事情かは不明ですが、その後父親は音信不通になってしまいました。
Aさんは今でも毎年、父親を探しに日本に行っているそうで、以前、かつて父親とタイ人の母親が一緒に訪れた場所を全てに見に行ったそうです。Aさんは、父親の写真を公開し「25年経った今もパパを探しています。」というメッセージを発信して、情報提供を求めています。
もし父親が健在だとすると53歳になっているそうです。もし父に新しい家族がいるとしても気にはせず、なにか経済的援助を求めるものではなく、ただ会いたいだけだとしています。
25年前のタイはどんな時代?
25年前というと、1998年ですね。皆さまは何をしていましたか?
タイの1998年とはどのような年だったのでしょうか。これは当時のスクンビット通りナナ付近です。まだBTSは開通していません。
当時の為替レートは、1バーツ=2.71円。2023年6月現在は1バーツ=4.05円ですから、まだまだ円が圧倒的に強かった時代です。
1万円が2500バーツを切ってしまった今では考えられないです。
これは日本円がまだ強かったということに加えて、1997年に起きたアジア通貨危機でタイバーツが暴落していたことも関係しています。この時をきっかけにタイバーツと米ドルはそれまでの固定相場制を廃止しました。当時のタイ人の平均月収は、5,274バーツ(1997年における製造業労働者)でした。2021年のタイの平均月収は27,352バーツと言われていますから、当時のタイの人件費はかなり安かったわけです。このため、バブル崩壊後とはいえ、まだまだ日本の企業もタイに拠点や工場を置いているところが多かった時代です。
90年代末のタイでの生活は
そうはいっても、タイに住んでいた日本人の数は23,014人(1997年10月)ということで、現在の78,431人(2022年10月)に比べると、3分の1以下と、少なかったようです。まだタイで生活するのは不便だったため、単身赴任が多かったのが理由のようです。
現在のトンローの日航ホテル付近には当時、タワーマンションのはしりのような巨大なワンルームマンションがあって、日本からの単身赴任者がたくさん住んでいたそうです。
日本からタイへ行く時には、スワンナプーム空港はまだなく、ドンムアン一択でした。バンコクには、まだBTSも地下鉄もありません。BTSの開通は1999年です。このため、バンコクの通勤手段はバスがメインという時代でした。
当時は電化製品や自動車、調味料に至るまで日本製品と日本文化がタイにあふれており、今のように中国製品が氾濫していたり韓国の芸能人が人気というような時代ではありませんでした。この写真をみても、TDKの巨大看板に、自動車は日産、いすゞ、トヨタ、日野…日本企業だらけです。
昔のバンコクの夜遊び事情
こちらは、90年代のタイのゴーゴーバーの女の子です。女子プロレスかよ、というコスチュームはともかく、このころはいかにも東南アジア、という雰囲気ですね。だから我々の先輩世代で、90年代~2000年代初頭くらいまでの時期にタイで働いていたり遊びに来ていたことのある人たちの世代だと、タイ女性のイメージは全然違うはずです。
タイッ娘たちはこの20年で美白やメイクなどに力を入れて、本当に可愛くなったということがわかります。この時代は、まだ法律改正前だったので、15歳以上であれば飲み屋や風俗で女の子が働くことが合法だったということで、中学生から女子高生くらいの年齢のゴーゴー嬢が半裸で踊っていたり、カラオケでホステスをしていたというから驚きです。
ペイバー代はなんと350バーツ~500バーツが相場だったとか。
日本人向けのカラオケクラブが並ぶタニヤ通りも、現在の倍以上の100店近い飲み屋が並んでいて、観光客一辺倒ではなく駐在員も多く通っていて、まさに“タイの銀座”だったそうです。このような90年代~2000年代初頭のタイの様子をみると、当時の日本の元気さも感じられて刺激になります。先輩たち世代に負けず、これからもタイで日本のパワーを活発に振りまいていきたいものです。しかし、夜も連れ出した女の子と頑張りすぎて、20年後に「お父さん~」と探されるようにはならないよう気をつけたいところです。