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タイで活躍した日本人スパイ「南方企業調査会」とは・令和ビジネスとの共通点

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タイで活躍した日本人スパイ「南方企業調査会」とは・令和ビジネスとの共通点

海外・タイで仕事や生活をしていると情報収集が重要です。
タイに縁があった伝説的な日本人たちの情報収集術についてみてみましょう。
今回はこちらの人々についてです。

「南方企業調査会」とは

かつて日本人がタイ全土に張り巡らせた情報網がありました。
1940年のことです。東南アジアでは、ビルマ・マレーシア・シンガポールがイギリスの植民地、ラオス・カンボジア・ベトナムはフランス植民地(仏印)で、タイは中立国でした。
日本は中国と日中戦争をしていましたが、イギリスは中国を支援していました。支援物資はビルマ経由で送られていました。日本は鈴木敬司陸軍大佐を長とした「南機関」を設立、イギリスを妨害するため独立運動をするビルマ人組織を作り訓練を行います。一員が後にビルマ独立の父となったアウンサン将軍(スーチーさんの父)です。鈴木はアウンサンらビルマ人の若者たちを日本に呼び寄せ、軍事技術や語学、工作活動を一から教え込み、一緒になってビルマ独立運動の準備をしていきます。

鈴木敬司陸軍大佐

並行してビルマの情報収集も開始。ダミーとしてバンコクに設置したのが「南方企業調査会」でした。当時タイでは華僑が多いので中国、そして植民地が接するイギリスが強力な情報網を持っていました。「後発」の日本は、様々な工夫をして情報収集を行います。

現地に溶けこむ工夫・結婚に宴会、寺に寄付

「南方企業調査会」の調査員はタイ各地に拠点を作っていきます。
北部では、商社マンを装いました。材木の買い付けという名目で山林を見て回ることで、ビルマとの国境地帯の地形を把握するためでした。

また、タイには古くから現地で生活する日本人がいました。そうした人々の中にも南機関とは別に、現地に溶け込みながら密かに情報収集をする人もいました。
マレーシアに近い南部のソンクラーでは、日本人の医師が診療所を構えていました。彼はタイ女性とのあいだに子どももいましたが、実際は日本の特務機関の工作員だったそうです。

ビルマとの国境のメーソートには農林技師として調査員が赴任しました。
しかし国境地帯のため、イギリスの関係者やタイ警察の監視が厳しく、日本人が田舎に来た、ということで町の人からも警戒されて誰も近づいてこなかったそうです。
これでは情報は集められません。
困った調査員は、町の英語教師のタイ女性と交際を始め、結婚を申し込みました。

そして結婚式を盛大に行い、宴会に町長や警察署長などを招待したのです。それらの有力者たちの夫人らに日本の化粧品をプレゼントし信頼関係を作ることに成功したそうです。
他にも、寺に寄付をするなどして、一般の人々の心もつかんでいきました。

裏切り者が出たときの対処は

海外での情報収集ですから失敗もあったようです。
国境地帯に住むタイ人舟乗りがいました。小さな舟で国境を越えビルマに行ったことがあるそうでした。日本の調査員は彼に「情報を探れないか」と持ちかけます。舟乗りが「任せてください」と言ったので資金を与え、送り出しました。
1週間ほどで舟乗りは戻り、「警備が厳しい。もっと資金がないと無理だ。」と言ったのです。しかし、彼は実際には国境地帯に行かず、酒と女で遊ぶ資金を騙し取ったようでした。調査員がとがめると、「英国大使館に組織のことをばらす!」と言って開き直られ、隙をみて逃亡したのです。
調査員は困りますが、現地の人たちの協力で、この舟乗りがバンコクに逃げたことをつきとめます。そしてある寺で発見しました。
調査員は、「タイ警察が捜査している。心配で探しに来た。」と告げます。慌てた舟乗りを連れ出し、日本行きの船に乗せた後、“消した”のだそうです。

残酷な結末ですが、戦争の時代であり諜報機関での裏切り者はどの国でも許されないことなので、ここでは、この失敗とリカバリーの部分について着目してみましょう。
現代風に置き換えれば、
“タイ現地法人で監督の目が届かない部署があり不良社員が現れた。駐在員の幹部が正面から叱ると、感情的に反発され悪化してしまう。対処は、現地採用の周りのタイ人の手を借りて不正行為を追い詰め是正すること”といったところでしょうか。
こう考えると今にも通じる話だと思います。

「南機関」のその後

「南機関」が収集した情報を元に、太平洋戦争開始後、アウンサンをリーダーとしてビルマ人の軍事組織が結成されイギリス軍への攻撃が開始されます。
鈴木大佐は予定通りビルマ独立政府の樹立を考えていましたが、日本軍の上層部は「独立政府を作ると日本軍と意見が分かれる可能性が出てくる」として認めませんでした。
結局、鈴木大佐は異動となり南機関は使命を終えたとして解散されます。
利用されているだけだと不満を募らせたアウンサンらビルマ人は、1945年5月、日本軍に反旗を翻し独自勢力で独立運動を進めていくことになります。

この辺も、現代風に言うと、“日本本社とタイ現地法人との間の、現地の状況を踏まえない方針や予算削減の押しつけなどで生じた軋轢の結果、拠点を混乱させてしまう”という状況に似ている気がします。

日本敗戦後、鈴木大佐(当時は少将)は戦犯容疑で拘束されます。当時は多くの日本人が逮捕されており死刑になるかもしれないという情勢でした。そのとき、連合国側に猛抗議して彼を救ったのはビルマのアウンサン将軍だったそうです。

歴史をみてみると現代の海外での仕事や生活の参考になることも多くあると感じます。

<参考文献>
ビルマ独立秘史 その名は南機関 泉谷達郎 徳間文庫
タイに生きて 瀬戸正夫 アジア文化社
秘録陸軍中野学校 畠山清行 番町書房
アジアの人々が見た太平洋戦争 小神野 真弘 彩図社

伝説の日本人の情報術・サムライ写真家・ベトナムとタイ女性の共通点

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