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バンコクの夜遊び繁華街が世界有数になった理由・R&R条約とは?

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バンコクの夜遊び繁華街が世界有数になった理由・R&R条約とは?

ウェブサイト「sex-worker-statistics」の調べによると、世界でセックスワーカーの数が最も多かったトップ10か国のランキングは次の通りです。

1位:中国 500万人 (人口14億人)
2位:インド 300万人 (人口14億人)
3位:米国 100万人 (人口3.3億人)
4位:フィリピン 80万人 (人口1.1億人)
5位:メキシコ 50万人 (人口1.2億人)
6位:ドイツ 40万人 (人口8380万人)
7位:ブラジル 25万人 (人口2.1億人)
8位:タイ 25万人 (人口7170万人)
9位:バングラデシュ 20万人 (人口1.7億人)
10位:韓国 147,000人 (人口5136万人)

タイは8位にランクインしており、25万人のセックスワーカーがいます。
しかし、他の国々は中国・インドの14億人を筆頭に人口も多い国です。タイより人口の少ない国は10位の韓国しかありません。タイでは全人口の約0.34%がセックスワークに従事していることになります。

タイの運命を変えたR&R条約とは

そもそもタイで夜の娯楽産業が発達したのは単に文化や国民性によるものではありません。
完全に政治的な理由です。
タイでは1960年に「売春禁止法」が制定されました。国際的な規制の流れに乗っていくかと思われましたが、東南アジアに変動の嵐が吹き荒れます。

1965年のベトナム戦争勃発です。南ベトナム政府を支援したアメリカは大量の兵力を投入して北ベトナムや解放戦線を攻撃、ジャングルで泥沼の戦いを繰り広げます。
米軍にはR&R「休養とリクリエーション (rest and recreation)」という制度があり、一定期間経った兵士は海外で休暇をとることができました。家族持ちの米兵はハワイで過ごしましたが、独身者は近場のタイを個人的に訪れることが多かったのです。これをうけてタイ政府は1966年に「サービス産業法」を制定して,夜の娯楽店で働く人は「特別サービス・ガール」であると定め、売春防止法との矛盾をクリアします。
また、その特区として当時漁村だったパタヤが選ばれ、夜の街として発展していきます。

タイの利権ビジネスの原型

1967年にはタイ政府とアメリカ軍部との間で条約が結ばれ、ベトナム戦争の米兵がR&R休暇のためにタイに入国することが正式に許可されました。
興味深いのは、このR&R条約に関する交渉を行った当時のタイ空軍の将軍の妻は、タイで初めてのツアー・エージェンシーを立ち上げて、大成功したそうです。特別な力や権利を持つ人のファミリーがそれを利用して利権構造を作り大きな利益を上げるという、タイでよく見る“ビジネスモデル”はこの頃から登場していたのです。
このように元々「上からの指示」で夜遊び繁華街が整備されたこともあり、タイでは他国のようにマフィアや暴力団ではなく、警察が良くも悪くも秩序維持に力をもつこととなったと考えられます。

アメリカで1950年代に流行っていた業態の店であるゴーゴーバーがバンコクのパッポン通りなどに導入され、ベトナムを空爆に行くアメリカ空軍基地があった東北部のウドンタニやパタヤなどの地方も夜の娯楽産業が増えてタイは潤っていきます。
1970年には米兵がタイの夜の街で落とす観光収入が2000万ドルになりました。これは当時の主力産業であったタイ米の輸出額の4分の1にまで達するものだったそうです。

観光業に力を入れた理由

ところが繁栄はいつまでも続きませんでした。
1975年に北ベトナムと解放戦線の勝利でベトナム戦争が終結し、タイからも米兵が引き上げたのです。夜の街から人が消え、パタヤは廃墟になるのではと言われていました。
タイ当局は、残された繁華街を使って観光業にシフトチェンジすることを目指します。ビーチなども整備され、かつての米兵らが若い頃に過ごしたタイにバカンスで戻ってくるようになりました。
この頃、盛んな誘致もあり、日本企業も数多くタイに進出するようになってタニヤ通りもカラオケが立ち並び日本人駐在員や出張者で賑わうようになります。

これらのタイ滞在者が帰任して日本で「タイはおもしろいぞ」と評判を広めたこともあり、日本からのタイへの観光客も増えていきます。
1980年代にはタイの最大の輸出品であったタイ米による外貨収入を、観光業収入が上回るに至ったのです。

夜遊び繁華街をみればタイの政策が占える?

その後、日本のバブル崩壊と円高で出張者よりも観光客の比率が大きくなったこともあり、
夜の繁華街でも、日本の「カラオケ」スタイルの飲み屋を真似た中国人対象の飲み屋であるKTVができるなどしてタイの夜の街は広く多様化していきました。
今は、かつての米兵から日本のビジネスマン、そして中国人や最近はウクライナ戦争逃れのロシア人に至るまで、夜に限らず“世界のR&Rの拠点”というスタンスで人気を集めています。既存のガソリン車工場の優遇とEV車工場の誘致を並行して行うタイ経済のスタンスにも似て、「どこかひとつに肩入れしない」という姿勢が見える気がします。

昨年2023年には、観光客が多い一部エリア限定で夜の繁華街の営業時間を朝4時まで延長するという施策がスタートしました。その一方で、売春を合法化する法案について準備がされてきましたが、2023年11月を最後に政府による意見聴取が中止されてしまっています。これが何を意味するのかは不明ですが歴史的に、タイの政治情勢と夜遊び繁華街は連動しているので、これからどうなるか気になります。

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