エカマイのホルモン焼・カラオケスナック「アイーン」です。
タイ正月のソンクランまっただなかです。
コロナ以来3年連続で中止だったソンクランの水かけ祭りが再開されたということでにぎわっているようです。会場になっているカオサンやシーロム、サイアム近辺は歩道に人が密集して、そこで水をかけあっています。水をかけられてしまうので、外を出歩きたくないという人もいるかと思いますが、水をかけて透け透けになる女の子を眺めるというのも、ソンクランの風物詩でもありました。
本日はタイのソンクランの水かけ祭りが、どんどんと過激にエロティックになっていった歴史についてのお話です。これは1950年代のタイのソンクランの様子です。現在とまったく雰囲気が違いますね。
もともとの伝統的なソンクランは、仏像や仏塔、お坊さんや年長者などに水を掛けるものでした。お清めをするという意味であり、人にかける場合も差し出された手を洗うというものだったそうです。
そして、お寺を訪れた一般の人に水をかける場合も、このように入れ物やひしゃくから、肩あたりに静かにかけるというものでした。ところが徐々に、一般の人にも水を盛大にかけるようになっていきます。
こちらは1960年代、最初はトラックの荷台にお坊さんや仏像を乗せて街を進み、道にいる市民が水をかけていくものだったそうですが、いつしかトラックに乗っている人と道の人が水をかけあうというスタイルに変わっていきました。
こうなってくると、現代の“無差別スタイル”に近づいていきます。
1980年~90年代頃には、水鉄砲が登場し、放水器を搭載するトラックも現れてエスカレートしていきました。水かけ祭りが行われている路上ではドラム缶に入れて水を販売しており、参加者はそこで水鉄砲に水を補給するのですが、この水に氷を入れる業者も登場し、この氷水を浴びせられると、本当に凍えて大変なことになります。水をかけられるのが当たり前になってくると、みんなの格好も、露出が激しくなっていきます。
Tシャツの下に水着をつけて、透けても大丈夫という状態にしていたのが、めんどうくさくなり、水着だけになったり乳首透け透けで歩く娘も出てきました。コロナ前の2010年代には、興奮のあまり、すっぽんぽんになる男女も現れ、これはさすがに警察沙汰になりましたが、過激度はマックスになりました。
さらに、2000年代~2015年頃までは、このような、白い粉を塗り合うということも盛んに行われるようになりました。
これは、「ディンソーポーン」と呼ばれる泥です。薬草をすりつぶして混ぜてあります。これは、肌の発疹をおさえ、汗を止める効果を持つ薬草で、タイでは日焼け止めとして昔から利用されてきたものです。
ミャンマーでは“タナカ”という似たものがあって、日常的に顔に塗っていたりします。
そして、ソンクランの水かけ参加者同士が、すれ違いざまに相手の顔に塗るという、風習が生まれました。“合法的”に相手の顔にタッチできるということで急激に広まっていきました。特に可愛い女の子が狙い撃ちされていました。白濁した液で顔面どろどろになっている女の子、これはぜったい別の意味がありますよね・・・。顔にたくさん白い泥が塗られている娘は美人で人気者、ということになるので、十代の若い娘は、わざと自分で自分の顔に白い泥を塗って歩くということもありました。
ところが、これもどんどん過激になっていき、泥だけでなくソープの泡まみれにしたり、顔だけでなく体に白い泥を塗りつける者も現れ、群衆の中でどさくさに紛れて痴漢行為も多発するようになります。
高校時代にそのころのソンクランに行ったことがある女の子に聞いたことがありますが、「私は、ソンクランは外に行きたくないよ。前は胸とかお尻とか、いっぱい触られたよー。」と言っていました。
このため、軍事クーデター後、政府は2015年からディンソーポーンの使用禁止を発表しました。
コロナ前は、白い泥は友達同士の身内で塗り合う程度になっていましたが、今年のソンクランでは当時を知らない若者の間で、復活しているようです。
このように、歴史を振り返ると、風習も徐々に変わっていくということがわかって興味深いです。コロナ規制が明けてこれからのタイはどうなっていくのか、楽しみです。